大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和28年(オ)753号 判決

上告人 富田光一(仮名)

右訴訟代理人弁護士 倉田次郎(仮名)

被上告人 富田たね(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人倉田次郎の上告理由は末尾添附別紙記載のとおりであるが、原審は被上告人の代理人弁護士金田与助が本訴提起前被上告人のために上告人と交渉し上告人の真意等を被上告人に伝達した結果被上告人に於て離婚を翻意し実家より上告人方に戻つた事実等を認定し、相手方より本件につき協議を受けたとの事実を否定して居るのであつて、弁護士法違反の所論はその前提事実を欠くものであり、其の他の論旨はすべて「最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律」(昭和二五年五月四日法律一三八号)一号乃至三号のいずれにも該当せず、又同法にいわゆる「法令の解釈に関する重要な主張を含む」ものと認められない。(なお、原審認定に係る事実関係の下に於ては原審が本訴及び反訴各離婚請求を理由ありとし認容したのは相当である。)

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 垂水克己)

昭和二八年(オ)第七五三号

上告人 富田光一

被上告人 富田たね

上告代理人倉田次郎の上告理由

第一点原判決は法令違反の違法があるから破毀せられるものと確信致します。

蓋し原判決は次の如き法令違背に基き係争事実の認定に当り重大なる誤認を敢て為されたる判決であつて斯くの如きは社会正義の断じて認容しない処であるから当然破毀せらるものと信ずる次第であります。

一、訴訟代理権欠缺の認定を脱洩したる違法があります。

蓋し訴訟代理権欠缺なりや否やは敢て当事者の主張抗弁を持つて認定せらるべきでなく訴状記載に基く原告の主張事実中よりして之れが認定を為し得べき事由ある時は当事者が申立を為さざる場合に於ても代理権欠缺の認定を為すべきことは裁判所の職権調査事項の一よりして当然であると信ずるものである。

本件請求原因中に現れたる事由を検すると次の如き事実が被上告人に依つて主張されていることから認定される。即ち、

1 金田弁護士による本件訴又は控訴の訴訟代理は違法であるから代理権がない。

昭和二十六年一月初旬被上告人が離婚並財産分与請求訴訟を金田弁護士に委任した際金田弁護士は上告人を呼び付けて事情を聴取したる上、上告人が被上告人主張の事由が無く離婚すべき程でない旨を申出て更に婚家に復帰する様懇請したのに対し同弁護士は之れを承諾して爾後仲裁人となり夫婦当事者の円満解決に乗り出して昭和二十六年一月十五日同弁護士自ら被上告人を帯同して復帰せしめて居るのである。

(訴状記載二枚目裏九行以下、第一審判決理由摘示事実判決三枚目十三行以下、原判決理由九枚目三行末段以下、訴外金田与助の仲裁斡旋により以下参照。)

上告人側も前記金田弁護士に依頼せる事実に付ては原審記録八〇丁裏富田治の証言、記録八九丁以下富田一郎証言及び原審記録一〇〇丁裏富田サチの証言中金田弁護士は双方から頼んだ旨の証言等により本件被上告人代理人が当時双方から依頼され又は相談されて之れを承諾して解決を為した結果、被上告人が婚家に復帰したことは誠に明白である。

然れば金田弁護士は弁護士法第二十五条第一項第一号、第二号所定代理行為禁止の法令違反の代理を為したもので法律上当然無効である。

之れを以て本件被上告人の訴及び控訴代理による提起は結局に於て代理権欠缺に帰し訴及び控訴は不適法として棄却せらるべきを原審は法令の適用を逸脱し此の違法の代理行為による控訴を審理されたる違法あり破毀を免れないものと信ずる次第であります。

二、原判決は採証の法則違背の違法がある。

1 蓋し本件係争事実は原審摘示の通り昭和二十三年三月二十八日婚姻し同年四月十五日入籍し二十五年一月三十日には一子太郎を挙げたものである。

原審判示理由に示された処を観ると、

(四)乃至(十三)の様な事情や事由があつたとして離婚を請求されたものであるが之れ等理由が婚姻を継続し得ざる重大なる事由であると判示せられたが之れは採用され証拠認定を誤つた違法によるものである。

証人中被上告人と上告人の間には争いも喧嘩もなかつた旨の証言がある外、被上告人本人自らも之れを供述して認めて居るから原審の挙示した事由は何れも被上告人と上告人母サチとのいさかいであることが一見明白である。(記録一六五丁裏富田たねの供述答に、二人の間には別に大した事はありませんでした旨及び一六七丁に同人は母サチが何んだかんだと云うので本訴を起した旨の供述。記録一四七丁富田悟助証言、被告と原告との間でなく原告と母サチの間のつまらぬ事でゴタゴタしたのですとの各証言参照。)

以上の通りであるが仮に斯る事情があつたとしても離婚を求むる事由とはならないのである。

況んや被上告人は第一審及び第二審が判示された様に厳格に訓育さるべき父なく母の手に育つた我儘性と戦後に於ける自由主義的世風にかぶれた女性で農業一本の生活を嫌う精神から無理矢理離婚を求めんとして上告人と二人きりの我儘生活を為さんとする挙に出たが其の意を達し得ず本件訴を提起したる事実が明らかである。

昭和二十六年一月十五日離婚を為さんとしたが金田弁護士の仲裁で婚家に戻ることになつたが其の際に上告人母サチと再度うまく行かない時は上告人は父母と別居する旨の約で戻つたとの事を主張しているが之れ明かに若夫婦だけの生活をなさんとする被上告人の我儘放縦性を表現しているのである(判示理由(十三)参照)。原審も亦其の判示に於て「かつまた夫たる被控訴人に於ても控訴人をして被控訴人方の生活に耐えるだけ十分の庇護と愛情とを惜しまないか、さもなければ一時若夫婦が父母と別居して日常衝突の機会を少くする等賢明な措置に出づべきであつたが」と別居すべかりし事を認断されているが之れは農村、殊に農民の実生活を無視した盲断であつて僅に田畑一町五反歩位の農家が(一町五反歩の耕地は自作農創設の標準農地である)嫁を貰つて家庭に迎え入れ姑との間がシツクリ行かないからとて一々父母と別居生活をせねば離婚を請求さると云う如き事を認容せんか、当該農家は生活基礎の破壊を招き一家離散の悲劇の因とならざるを得ぬこととなり斯る要求は敢て本件上告人のみならず一般人を同様立場に置くも認容し得る処でないのである。

若しそれ之れに反して放縦生活を為さんとする妻の要求を容れんか、別居する住宅、生活資料を得る農地の分耕、農具の新調、別居資金調達等現在農村経済状況よりしては到底不能に属する事で上告人が之れを敢てせずその要求をしりぞけたるは当然である。

況んや両親の恩育に人となり嫁を貰うや嫁のため父母の許を離れて別居生活を営むと云ふが如きはそれ自体社会道義に反する忘恩行為であつて許されるものではないと信ずるものである。然も之れみな嫁一人のため敢て之れを為すと云う如きは健全なる経済生活の基礎の上に生くる農家として許されざる処であつて不能に近い事実を強いるが如き原審認定は社会妥当性を欠き失当たるを免れない。

2 被上告人が我儘放縦の生活を求めて本件を惹起せしめし事実は一件記録上明白である。

原審記録上被上告人の(控訴人)供述を検せんか、次の事実が明かにされて居る。

(イ) 被上告人は昭和二十六年一月初め家出する前であり夫婦間には争いがないと云うのに昭和二十五年一月三十日長子太郎が生れて後は夫婦関係を拒否して為さないと云う被上告人である。斯る処より写真問題が起るのである。(記録二六九丁以下被上告人の供述中、被控訴人とは子供が生れてから後は夫婦関係はありませんでしたの点参照。)

被上告人が正式の離婚請求を初めたのは昭和二十六年七月人事調停を提出してからである。其の前は夫婦間に争いなかりし事実に付ては前出申立の通りであつて何等夫婦間に取り立てて非難すべき事由も事情もないのに一年数月の間に亘り(子が生れてから人事調停を起すまで)温良従順なる夫上告人との夫婦生活を拒否して為さずと云うが如き女性であるから到底良妻賢母等という精神の持主でない事が看取されるのである。

(ロ) 被上告人が営農を嫌つて居つた事実としては、耕作反別略々同様の専農の家に人となりしに拘らず被上告人が離婚を求めるや東京に走り裁縫で身を立てて行き百姓をする気はありませんと云う意思によつて明かである如く生来農を嫌うて居たのに百姓一本の上告人家に嫁となつたので農家の姑としては動く一方の母サチの仕打を殊更に取上げて悪味をつけ本件離婚の事由と為したものであることが認定されるのである。(記録二六八丁裏一行以下)

然も被上告人には日本古来の女性の美徳とする子をいつくしむ母性愛の如きは薬にしたくも無い女性と云わざるを得ぬのである。即ち被上告人は腹を痛めて産み落した子に少しの未練がないというに至つては我が身の放縦性を露骨に現したものて如何に現代思想下と雖も妻として母としての女性としての示等なる法の保護下に置かるべきものでないと確信するものである。(記録二六八丁一行より五行参照)

斯る思想を有するが故に東京都内の秋田某方に身を寄せているが秋田なる者は被上告人が嫁入前たる〇〇村に居住していた朝鮮の人である母を推断せんか、真面目な女性の為さゞる処と思料せざるを得ないのである。(原審に於ける被上告人の住所変更の点参照)

3 之れに反し上告人が父母に従順たるのみならず温良実直農業に専念し他人より一点の非難なき農村の善良なる青年である事は之れ亦記録上明白な処である。(乙第三号証の一、二参照)

被上告人自身亦之れを知り且つ認めて居るのである。(記録二六八丁以下被上告人本人尋問供述中裁判長の問に対する答中、舅は普通の人で被控訴人はおとなしい人ですから姑からかんかん云われると何も云えず其の通りになる人達ですの点参照。)

此の温良実直なる青年を夫としながら姑との間に耐え難き仕打というべきもの無きに敢て之れを殊更に誇張して離婚を求めんとする所以のものは結局農業を嫌う事と若夫婦だけの生活を為さんがため婚家の生活が如何になり行くも自身の我意を通せばよいという一点に帰する以外何等の理由も見出せないのが本件なのである。(証人富田よしの証言参照)

況んや上告人はその父と共に被上告人の不心得を諭して婚家に戻すべく人事調停に於ても亦第一審審理中も其の復帰を強く希望し、殊に第一審判決が下されるや第一審の条理を尽して反省を求められた判示理由に基き特に最後の勧告をしている上告人の悲願をしりぞけ之れに応ぜず最愛なるべき子を捨て一途我慾に走り離婚を求めんとするのみが理由なき告訴を為し上告人はもとより上告人母サチまで刑事訴追を受けしめんと計り○○区検察庁○○副検事の写真男性二人の取調となり事実判明して不起訴処分となるや此の告訴手続によつて弁護士に支払つた弁護料の返還訴訟を起す等次から次えと訴の乱発をして居るのである。即ち本件訴による控訴と上告人の附帯控訴の判決さえ下らないにも拘ず理由なき反訴を起して被上告人は弁護士に一万五千円の弁護料を払つたから之れを返還せよとか、上告人が第一審で為した被上告人所有の荷物仮差押命令取消に(債権額を供託して)弁護士に支払つた八千円を返還せよとか、あらゆる理由をつけて農村農家としては之に耐えざる程の損害賠償を求めて来ているのであります。

愛児を残す母たる女性ならんには、事あり夫と生別するも、愛児の生れた時に出産祝として愛児に贈られた産着や乳母車等は生家の母、兄、姉が持つて行くと云つても被上告人に一片の母性の情あらば之れを子のため残して行くべきに太郎に贈りし生家よりのものは一品も残さず持去つた女性であります。(乙第六号証、乙第七号証の一原審判示理由(十八参照。)

4 原審は重大なる事実の審定を脱洩している違法がある。

即ち本件被上告人請求の離婚請求の理由の数々には仮りにあつたとしても何れも昭和二十六年一月十五日以前に於ける姑サチと被上告人間の不和関係のみである。然るに此の事由は昭和二十六年一月十五日双方の了解と金田弁護士の仲裁により紛争解消して婚家に戻つたのである。

被上告人が婚家に復帰したと云う事は今日までありし紛争事由は一切を宥恕して離婚請求の意志を明かに放棄してなしたるものであつて旧民法は此の点明かに規定している。(旧民法第八一四条第二項)

此の旧民法の精神は現法また当然として之れを明定せざるのみである。故に本件被上告人が離婚の請求訴を為すには昭和二十六年一月十五日以降に於て婚姻を継続し難き重大なる理由がなければ、其の訴も請求も失当である。

今この点に付て被上告人の主張を検せんに、離婚原因は何れも昭和二十六年一月十五日以前の事実を挙示して居る。

即ち昭和二十六年一月十五日復帰後は離婚の因を為す事由は一つもないのである。第一審以来の判示では「当初一月は原告に対し極めて親しみのある姑としてのぞんだが一月も過ぎると矢張り永い間の培われた封建的な性行はぬけず農村に於ける主婦としてのあり方について口喧しく説いたため被上告人(原告)も遂に堪え切れず昭和二十六年六月五日生後一年五ケ月の太郎を置き去つて家出し本件を提訴した」のである。(第一審判決九枚目三行目末段以下参照)

又原審も此の点は認定して居るのである。

即ち原審判決理由(十四)に於て、「当初一ケ月位はサチも控訴人の帰つた事を喜び控訴人に親しみのある姑としてのぞんだが間もなくもとのようになりしばしば辛くあたるので控訴人も居りにくくなり同年六月上旬頃一子太郎を残して兄政一方に戻つた」とせられて全く被上告人が離婚を求むべき程の重大なる事由はないのである。(原審判示理由(十四)参照)

果して然らば被上告人には離婚を求めて上告人を指断すべき何等の理由はないのである。被上告人が望む処の理由は上告人が親と別れて別居生活をしないと云う一点に帰するのであつて其の因つて来る処は若夫婦の我儘生活を為したいと云う私慾以外何ものもないのである。

斯る理由が如何に男女同権の民法下と雖も認容せらるべきでない事は敢て論をまたぬ処であつて結局原審が被上告人の離婚を理由ありとせられたるは採証法則違反の結果、事実の認定を誤りたるもので到底破毀を免れないものと信ずるのである。

三、以上論述の如く原審は上告人の理由が反訴提起時と異り上告人や父悟助が如何に被上告人を復帰せしめたく努力するも(原審判示理由(十五)参照)附帯控訴主張の理由がある以上復帰せしむを得ず一子太郎を母なし子とするに忍びぬものありと雖も母性の真情なき妻、上告人と夫婦生活を継続する事を嫌う妻は涙をのんで離婚するより外に途なきを理由として離婚の反訴維持の挙に出でたるもので本件離婚は上告人請求に係る原審に於ける附帯控訴により為さるべきで控訴を理由ありとして為さるべきでないものと確信するものであるのに被上告人の離婚請求を理由ありとして認定せられ、加うるに慰藉料金三万円の支払いとの判示せられるが如きは社会正義に反するものと断ぜねばならないのである。(離婚理由を双方認むるは不当である)

上告人は一家全員が原審に上申書(結審後上告本人父母から直接提出しあり参照)にて上申せる如く敢て慰藉料を請求するの意思は維持しないとまで申立て居るが本件離婚により幼児太郎を抱えて養育のかたわら農業に精進する精神上の苦痛は一子あるが故に後添の妻を迎える困難なる苦痛はより数倍するものがあります。上告人は此の精神上の甚しき苦痛は被上告人の苦痛と対比せんか、被上告人の苦痛の如き物の数ならずと云わんとするものである。

之れ他なし、被上告人は自己の慾望のみを追求し華やかなる都会生活の夢を追い放縦なる生活を求めんがため殊更に求めた離婚請求であつて斯る奸策的要求は天人共に許容しないからである。

希くは上告理由認容せられて原審判決を破毀せられて上告人の原審に為したる反訴により離婚の御判決相成度く。

以上

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